大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本家庭裁判所山鹿支部 昭和40年(家)134号 審判

申立人 田中絹子(仮名)

相手方 木村吉男(仮名)

事件本人 木村幸子(仮名)

主文

本件申立はこれを却下する。

理由

(一)  本件理由の要旨は、申立人と相手方は昭和二三年九月一〇日協議上の離婚をし、その際事件本人である長女幸子(昭和二二年一〇月六日生)の親権者を同女の父である相手方と定めたが、申立人は現在身体が弱く、病気し勝ちであるため、右事件本人を申立人と同居させ、申立人の看護等をさせたいと考えるし、また事件本人も相手方が長期療養中で、その親権に服することを非常に嫌つているので、右親権者を相手方から申立人に変更する旨の審判を求めるため本申立に及んだというのである。

(二)  よつて、判断するに、当裁判所の申立人、相手方各審問の結果、申立人および事件本人の各戸籍謄本、家庭裁判所調査官小林赫子の調査報告書、事件本人の申立人宛書翰(昭和四〇年一月一五日付)等を綜合すると、申立人と相手方は性格上の相違から昭和二三年九月一〇日協議上の離婚をし、その際長男を除く男児二名、女児一名(女児は事件本人)に対する親権者を相手方と定め、申立人は現住所の実家に復籍したこと。事件本人は当時満一歳に過ぎなかつたが、父である相手方に養育されて生長し、本籍地の中学を卒業後、静岡県内のゴルフ場事務員を経て、現在東京都内の写真材料製造関係の会社に工員として就職している(もつとも、その現住所については、本件審判開始後、同女が家庭裁判所からの陳述聴取をきらつて再度に亘りその所在を変えたため不明である)が、この間申立人は事件本人の養育に関係したことは勿論、同人と生活を共にしたこともなく、相手方が肺結核に罹つて、事件本人に対する感染を虞れ、申立人に事件本人を当分の間預つてもらいたい旨依頼した際も、申立人は形式的に数日間預つただけで、相手方に戻してしまつたこと。相手方は数年前から結核が悪化して○○市民病院に入院し療養中であるが、全快退院の見込みは全く立たず、現に生活扶助および医療扶助を受けておる身であり、事件本人に対する父性愛は強く、今後も引き続き親権者たらんことを欲して、その変更には強い反対の意思を表示しているが、事件本人との間にはときたま文通があるだけで、同人との同居は勿論、同人に対し物心両面の指導援助は叶うべくもない状態にあること。反面申立人も昭和二三年九月離婚以来今日まで事件本人を養育したことがなく、かつ病弱のため現住居の実兄宅に身を寄せ、大阪在住の長男からの仕送り等で辛うじて生活しているに過ぎず、経済的な自立能力は全くなく、事件本人を呼び寄せ、これを膝下に置いても、同人を扶養する能力は勿論なく、かえつて同人の収入に依存するほかない状況にあること等の事実が認められる。

以上の事実によると、相手方の事件本人に対する親権は、現状では形骸だけのもので、監護教育の実を挙げていないことが明らかであるが、反面申立人においても、事件本人に対する監護ならびに指導の能力は殆んどなく、本件親権者変更申立の動機も、その主張自体から明らかなように、事件本人に対する監護教育の真意に出たものではなく、同人をして病弱な自己(申立人)を看護させるためその手許に呼び寄せたいという自己本位の立場から出ているものであることが明らかである。

しかして、事件本人は、当裁判所からの嘱託に基づく静岡、東京各家庭裁判所の陳述聴取に応じないので、同人の意思を直接には確認し得ないのであるが、同人から申立人に宛てた書翰(昭和四〇年一月一五日付)の内容を検討し、これに相手方審問の結果を対照すると、事件本人は、長患に臥して気難しくなつている相手方との間に、次第に父子としての情愛に断層を生じはじめていることが看取されるが、同時に、申立人との間にも、母子としての愛情に未だ強い違和感の蟠つていることが窺われ、むしろ事件本人としては、現在、わずらわしい父母の覇束から脱して自らの力で自らの道を歩みたいという気持にあることが推認できる。

(三)  ところで、家事審判規則第七二条第一項第五四条によれば、家庭裁判所が親権者の変更に関する審判をするには、事前にその子の陳述を聴かなければならないこととなつており、これは親権者の変更のように子の利害に重大な関係のあることがらについては、その子が概ね思慮分別の具わる時期と考えられる満一五歳以上に達しているときは、まづ当該子の意見も聴取して審判の重要な参考とすべきであるという趣旨で設けられたものであるから、その子の陳述を聴取し得る限りは、その陳述を聴かなければならず、その可能な場合にこれを聴かずして審判をすることは違法として許されず、かかる場合に敢えて審判をしたときは該違法は右審判の効力にも消長(取消失効)を来たすべきものといわなければならない。

しかし、当該子が精神、身体の故障等により、あるいは故意に右陳述を拒否して家庭裁判所の聴取に応じないため等により、右陳述聴取が不可能であるような場合においては、同裁判所がその他の資料(事実調査および証拠調の結果等)を参酌検討して当該子のあるべき意思を合理的に推定し、これと他の客観的要素とを綜合して、現親権者と新しく親権者たらんとする者のいずれがその子の利益のために、より適格者であるかを判断することを妨げるものではなく、かかる合理的判断に基づく審判については、それが形式的には子の陳述聴取という法定の履践要件を欠くものであつても、違法とはならず、もとより右審判の効力を左右するものではないと考えるべきである。

換言すれば、前記家事審判規則第七二条第一項によつて準用される同規則第五四条は単なる訓示規定ではないが、同規則第二四条のように絶対的な効力規定でもなく、その中間に位する一種の相対的効力規定であるとみるべきである。

けだし右規則二四条所定の鑑定は審判(禁治産宣告)前に必ず行われなければならないものであり、このことは同条の文理自体明白であるだけでなく、右審判は人が一定の精神状態にあるとき、その人から法律行為上の能力を剥奪するという重大な意義をもつ裁判であるから、右精神状態の判定には専門家の鑑定を必至とし、これを欠いたままで、その精神状態を判断し審判するということは、右事柄の性質上許されず、右鑑定を欠いた審判はその効力を否定(取消失効)されることも已むを得ないものといわなければならないが、親権者の変更審判における子の陳述聴取は、右変更が子の利益のため必要であるか否かを判断するための参考として、当該子の意見を徴するという趣旨のものであつて、これを欠くときは該変更要否の判断ができないというような性質のものではなく、他の資料の参酌検討によつて客観的に右変更の要否を判断することが可能なのであるから、かかる合理的な判断過程を経た審判の効力を否定すべき理由は毫も存しないからである。

このことは、満一五歳未満の子の親権者変更については、当該子の陳述聴取は要求されておらないことに徴するも明らかである。

しかして、本件の場合も、前記のように事件本人の陳述を聴取し得られないのであるが、冒頭掲記に係る他の客観的資料の綜合によつて親権者変更の要否を合理的に判断することが可能であるのみならず、事件本人の意思も推認し得られる場合に該当するので、同人の陳述聴取を欠いても審判することの妨げとはならないものと言わなければならない。

(四)  つぎに、いうまでもなく親権は親が子を哺育、監護、教育する権利であると同時に義務でもあつて、むしろそれは個人的な利益をその中核的要素とする私権的な権利性よりも、親が国家、社会の一員として、次代の成員を育成すべき公的な責務であるという義務性の方がより強いものである。

しかして、親権者の変更は現在の親権者がこの育成義務を遂行するに適当でないだけでなく、変更を求めている新親権者たるべき者が右現在の親権者よりも右育成義務遂行の能力同資格において、より勝れており、子の福祉を増進し、子の意思にも合致するというものでなければならないことは民法第八一九条第六項の法意とするところであるから、親権者の変更は右条件を具備する場合でなければ、これを積極に決すべきものでないことも明らかであるといわなければならない。

(五)  そうすると、本件の場合、申立人、相手方に存する前記のような事情ならびに推認される事件本人の意思を綜合すると事件本人に対する親権者を相手方から申立人に変更したとしても、右事件本人の福祉により稗益するところがあるとは考えられず、かつ同本人も既に満一八歳を超え、成年にわずか二年足らずの期間を残しておるに過ぎず、現に職業婦人として、独立の生活能力を具えておることも認め得るところであるから、もし事件本人に対する親権者を申立人に変更して同本人を申立人の親権に服させることにするときは、申立人において、その居所指定権により事件本人に対し自己(申立人)との同居を慫慂することはその申立の趣旨から当然推察されるところであり、その結果は事件本人を申立人の膝下に跼蹐させるようなことともなつて、かえつて同本人の自主的な生活行動の伸長を妨げ、その福祉の障碍となるというようなことも十分懸念されるところであるので、本件申立は結局その理由がないものとして、これを却下するを相当と思料する次第である。

よつて、家事審判法第九条第一項乙類第七号、同審判規則第七二条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 石川晴雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例